保育園の先生の心遣い

私は、保育園児だったときに先生の心遣いが温かいなと感じたことがあります。当時、どの保育士で採用できる奈良の大和高田でも私は園児と思えないくらい精神年齢だけが大人でした。お昼寝なんて一度たりともできませんでしたし、皆が鬼ごっこをするのに同じところをぐるぐると回っているとあほらしく思いましたし、園児たちが穴を掘って先生をその落とし穴へと誘導していると、先生は絶対穴に気づいていて驚く演技をしていることがなぜわからないのかといつも冷めた目で見ていました。そんな可愛げのない、大人びた私でしたが、ある日、ひとりでつるつるを極めた泥団子を作ることもありました。このとき、何の気なしに話しかけてくれた先生は、そっと私に寄り添って、楽しそうに遊んでいる子供たちではなく、私と一緒に泥団子を作ってくれました。ほんの些細なことなのですが、子供心に私は先生の気遣いを感じ、内心とても嬉しかったことを今でも覚えています。大人しくて、大人からするととても良い子だった私ですが、こうやってただ静かに寄り添ってほしかったのかもしれません。この評判の保育園は奈良にて先生はいつも手のかかる子の面倒を見るのに忙しかったので、良い子の私は放置されがちだったのです。ときには見向きをしてほしいなと感じていたので心が温まりました。